田口

ゴミ溜め

何事も伝わりゃ良い

毎日毎日考えてることが多すぎる。言語化するのが好きなのだろうかと自分に問うが全くそんなことは無い。

単純な言葉を複雑にすることに長けているだけである。

 

とある人にひねくれてると言われた。私はひねくれを認めたくなかったので、「ひねくれてる人にひねくれてるねなんて言われるの嬉しいな」と返した。それはひねくれだよなぁと自分を少し好きになった。

 

毎日何を思いふけってるのかと言うと、適切な言葉は見当たらないが、私のちょっとなりの聖域である。淘汰されないための生存戦略とでも表現しよう。

 

毎日生きていく上で勘は鋭くした方が良いと思っている。勘が鈍っていると何事もぼやけて見える。仕事、恋愛、勉強、お金、趣味、友人関係、全てに勘を鋭くして見てほしい。そうすると見え方が必ず変わる。行動をする上で必ず役に立つと思う。人と関わるより、相談より、がむしゃらに走るより必ず。

 

私はそう思って生きている。

忙しなく毎日がぐるぐると回る中で、ゆっくりとした時間を自分の中で流せるし、見えない世界に片足を突っ込んでみて、自分の波動に自信を持ってみると、あなたが世界を回せるのかもしれない。

あなたはジャパニーズドリームかもよ!

 

 

 

 

 

 

雷電

もう思い出になってしまった彼達は元気だろうか。ふとそんなことを思い返した。

 

いつの恋愛も、この人しか居ないと思わせる。

運命を装ってやってくる。あなたが最後だと思い、どれだけの時間と労力をかけてきたのか、計算したら気が滅入るな。。

 

その時の気持ちは言葉として書き表せるが、満たされた気持ちだけが今体験することは出来ない。

あんなに幸せだったのにね…笑

 

思い出になるまでは、あなたにまた心をかき乱されたいとも、あなたをかき乱したいとも思ってしまう。

ただ思い出となった今、あんなに無理だった彼たちを傷つけたなぁと反省じみたことを思う。その繰り返しだ。アホだのう

 

恋愛というものはお互いのわがままをどこまで可愛いと思えるかなるんだろうな。。と。

そして冷静さの欠如なんだなぁと。

醒めてしまったなら終わり。どんな女だろうが男だろうが、最後まで隠し通し、酔わし続ける奴らが勝つようになっている。

 

私はまだ彼たちの心の中で生き続きたいので香水は変えない

 

私と出会ったことが吉とでるか凶とでるか、だけを思って生きている。

 

私の少なすぎるけど強烈な切り札を出し続けてあなたをかき乱したので、凶と出て欲しいけどね。

 

雷電懐かしいよね。

人生みあって良くね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

素敵な毎日に感謝を

気づいたら今年も4ヶ月たち、暖かくなってる。腰の重い私もいつの間にか教習所に通ってる。

隣の教習官に真夜中の山奥で降りろと言いたくなるのを必死に抑えながら、頑張っております。

 

TwitterInstagram両方やめてからというもの、承認欲求は薄くなってきた。

やめてから病まなくなるのかと勘違いしていた数ヶ月前の私を殴りたい。全然病む。病むと言うより動けなくなる。それはもう鬱なのではないか?と思いつつ、次の日には気合いで乗り切ってるので、鬱ではないのだろう。ただの気分のムラが激しい人だ。と言われうだ。

 

うるせえなと。。

 

ネットでどうしたらと調べたことは数え切れないぐらいあるが、生理だろうが、仕事だろうが、鬱だろうが、全てに「規則正しい生活を」「体を動かしましょう」「日光を浴びる」しか出てこない。

勝手にしてろと言いたくなる。

もっと合法的にうちらがテンション上がるものを書いてくれねえかな。水筒にストゼロとかさ。

 

そもそも、鬱だろうがADHDだろうが、全く優しくない世の中には、嫌になるが。。

毎日くたばりたくなる毎日を必死こいて目つぶってるんだからよ。優しくしてくれよな

 

口が悪いと言ってくる男の方があそこの穴は汚ぇし、お前が1番悪くて、私が1番可愛い。

そして綺麗な女性の前でキャッキャはしゃいでるおじに来世はなりたいな。

 

 

 

 

お久しぶりです。田口です。

皆さんご自愛ご苦労様です。

 

最近は何もしてないのにお疲れ様と言われる時に罪悪感感じる。みんなにもあるのでは無いだろうか。

休日や、仕事終わり、家でクタクタの身体を労わっているはずなのに、どうして気が休まらないのだろうか?と毎回疑問に思う。

きっと幼少期から色々なものに毒された身体を労わるには時間が足らなすぎるのだろう。

だから最近はご自愛ご苦労様ですということにした。ご自愛くださいも気が重いからね。

 

今まで生きてきてそんなには生きていないがもういいだろって思えてきた。

でもやめられないのはハッピーなことがたまに起こりやがるからである。幸せかよ。

 

職場に70代の素敵な女性がいる。遥かに若い私よりイキイキしている。その方は車も自転車も乗れないのでバスで何時間もかけて来ているのだ。なぜそんなに行きと帰りに大変な思いをしながら時給も知れているのに仕事しているのか疑問に思った。年金も受け取れてるだろうに。そう性格悪く思いながらも自分の任された仕事を黙々とやっていた。

この前「やっぱりみんなに会えて仕事してるときが楽しい☺️」と素敵な笑顔で言われた時、そこに全てがつまっている気がして、卑屈な自分が嫌になった。でも同時に救われた。

アーメン

 

夜職をやっていた毒は知らぬうちに全身に侵されていたようだった。金銭感覚のズレ、刺激を求める欲深さ、小さな幸せに気付けない、周りや自分に対しての嫌悪感、それは知らぬうちに私の全体に毒と化して広がっていたようだ。気付かせないのが怖いのである。いや、本当は気付いていたのかもしれない。それでも、毎日なんだかんだ楽しんで生きているし夜職をやっていたときの先を恐れる不安がない。それは徐々に毒素が消えているのだろう。毒素が消えたまっさらな私はどうなっているのだろうか。