田口

ゴミ溜め

お久しぶりです。田口です。

皆さんご自愛ご苦労様です。

 

最近は何もしてないのにお疲れ様と言われる時に罪悪感感じる。みんなにもあるのでは無いだろうか。

休日や、仕事終わり、家でクタクタの身体を労わっているはずなのに、どうして気が休まらないのだろうか?と毎回疑問に思う。

きっと幼少期から色々なものに毒された身体を労わるには時間が足らなすぎるのだろう。

だから最近はご自愛ご苦労様ですということにした。ご自愛くださいも気が重いからね。

 

今まで生きてきてそんなには生きていないがもういいだろって思えてきた。

でもやめられないのはハッピーなことがたまに起こりやがるからである。幸せかよ。

 

職場に70代の素敵な女性がいる。遥かに若い私よりイキイキしている。その方は車も自転車も乗れないのでバスで何時間もかけて来ているのだ。なぜそんなに行きと帰りに大変な思いをしながら時給も知れているのに仕事しているのか疑問に思った。年金も受け取れてるだろうに。そう性格悪く思いながらも自分の任された仕事を黙々とやっていた。

この前「やっぱりみんなに会えて仕事してるときが楽しい☺️」と素敵な笑顔で言われた時、そこに全てがつまっている気がして、卑屈な自分が嫌になった。でも同時に救われた。

アーメン

 

夜職をやっていた毒は知らぬうちに全身に侵されていたようだった。金銭感覚のズレ、刺激を求める欲深さ、小さな幸せに気付けない、周りや自分に対しての嫌悪感、それは知らぬうちに私の全体に毒と化して広がっていたようだ。気付かせないのが怖いのである。いや、本当は気付いていたのかもしれない。それでも、毎日なんだかんだ楽しんで生きているし夜職をやっていたときの先を恐れる不安がない。それは徐々に毒素が消えているのだろう。毒素が消えたまっさらな私はどうなっているのだろうか。